2017年夏にステージ2手前の乳がん発覚。全摘手術後、ホルモン療法で経過観察4年目。無駄に元気な乳がんサバイバー実践中。
2014年3月46才で乳癌ステージ4。闘病せず、転移無数が4つに激減、ゆるゆるの「がん生活」です。
♪元氣で楽しくいきましょう(^^♪ありがとう安心安全大丈夫!
乳がん&肺転移ともUMSオンコロジーで治療。寛解、トリネガなため無治療で経過観察3年経ちました。
私は乳がん患者ですが赤ちゃんが欲しいです。若年性乳がんを発症した乳がんサバイバー『はりもぐ』が乳がん患者の妊活のリアルをマンガにしています。妊娠を希望するすべての乳がんサバイバーの参考になりますように。
乳がん・子宮頸がんの入院手術を経験した松山輝見子のBLOGです。乳がんでは自家組織で乳房の再建をしました。子宮頸がんでは、広汎子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)という子宮を温存する手術をしました。入院生活の便利グッズや服や下着もご紹介。
2017年2月、41歳で乳がんと診断。ステージ1。5月に凍結療法を受け、現在ホルモン療法中です。
30代半ばで乳がんになり備忘録としてブログしてます♪術前抗がん剤、全摘手術、放射線治療が終わり、術後の抗がん剤とホルモン治療中です。 4歳の娘の子育てや旅行の話もしていく予定です!
34歳で乳がん2B発覚。治療を経て再発転移なく5年経過。兼業ピアニストの治療体験記と日常。
「乳がんステージⅣ、余命3ヶ月。なのになぜそんなに元気なの?」 病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが 食生活を見直し、CEAT療法に出逢い、末期がんが完治していくまでの話。
スイスで乳がん - Breast Cancer - Swiss experience
HER2陽性でした。抗がん剤治療、遺伝子検査、手術、地域サポート等、スイスでの体験とその後の色々なはなしを書きます。
切ってしまえば終わりだと軽く考えていた乳がん。 乳がん告知はスタートラインにたったにすぎない。 その後再発、再々発。ホルモン療法継続中。 治療のこと、お金のこと、気の持ち方など、私なりに体験したことを書いていくブログです。
2年連続して両親(祖父母)を亡くしました。 一人娘はパニック障害、広場恐怖症、分離不安障害、遊走腎、膝痛等。 私は四六時中~鳴りやまない耳鳴りとあらゆる痛みと毎日格闘中! 2020年11月15日★長年暮らした実家から娘と引越しました。
2010年8月温存手術→放射線→ホルモン療法9年目、副作用でも通院中
温存手術後、化学療法は無治療を選択。様々な自然療法を日々実践♪人生ゆる~く楽しむ☆
「病気ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)
柴犬はアレルギーが多いと言われてますが、うちのコは夏に口の周りや手足の指の間が赤く腫れて ぱっくり割れてしまうことが多く見られます。 原因は分からないので、毎年病院通いになりますが 同じ様にお困りの方はいませんか?
末期がんと戦いながらガーデニングと桜井さんに癒されながら楽しい日々を送っています。 よろしくデス!
MRSAにはじまり 多剤耐性アシネトバクター 多剤耐性緑膿菌 バンコマイシン耐性腸球菌など 弱毒だった菌が強毒へ変化しました 病院内感染はある程度防げるはず? 看護師の手洗いなどの標準予防策と 抗生物質の「乱用」を戒めることです 菌を同定し慎重に選択し治療すべきで 安易な抗生物質の使用は耐性菌を生む 20世紀人類はペニシリンを発見したが 100年経たないうちに遂に打ち止め? 新薬も直ぐ効かなくなるので期待できない 21世紀は正に大感染症の時代に突入した
同じ病気や症状でもお医者さんによっては処方が違うのかな? 体格や年齢、性別など等・・・ 情報を共有できたらいいな。
メンタルヘルスの事に関して。
若くして事故等で脳損傷をうけた家族を 支えていらっしゃるかたへ 誰にでも起こりうる事ですが、それは突然です 日々の悩み等伝えてください
福祉業界で経営をなさっている方、現場でご利用者様に上質なサービスを提供しようと頑張っている方、今の福祉システムそのもの疑問を持ち「どげんかせんといかん!」と思っている方、語り合い、共通認識を持って福祉を変えていきましょう!この愛すべきしょうもない日本の福祉を変えるには現場や地域からのボトムアップです!!!
私が長い間こころのなかで思いつづけ、わたくしの仲のいい友達が集まって始めることができました, この運動は、わたくし自身が、乳がんの患者さんを知る医師であるとともに、たったひとりの姉を乳がんで亡くした患者の家族であったからです。乳がんになられた患者さんにふだんの生活のなかで接する方は、あまりおられないかもしれません。ですから、乳がんを取り巻く状況がどんなものであるかは、あまりピンとこないかもしれません。しかし今、乳がんが増え続けていて、女性の癌の中で一番多い現実からすれば、案外他人事ではないかもしれません。癌の告知を受けたその日から、乳がんの患者さんは、想像を越える絶望感や悲壮感にさいなまれ常に悩み、常に死に対する恐怖心と闘わなくてはなりません。 患者さんの家族にとっても、辛く重くるしい日々が続きます。しかし、医療の現場では、体は治しても心のケアーができる体制は、残念ながら未熟と言わざるを得ません。患者さんは、いまでもひとりぼっちなのです。私の姉は、46才の時に乳がんを発病し、49 才の時にこの世を去りました。短い人生でした。姉は、聡明でやさしく、頼りがいのある人でしたが、後には夫と二人の息子が残されてしまい ました。他の乳がん患者さんの家族の方と同様に、姉を亡くした後は、私を含めて家族のみんなのこころには、悲しさと空白感と寂しさが残りました。家族もまた深く傷ついたのです・・・私は思いました。 もし、姉や患者さんの乳がんがもっと早く検診で見つかっていたら! もし、患者さんが、体も心も安心して、ゆだねられる医療の場があったら! もし、乳がんで親を亡くした子供達が、元気になれたら! 私と 私の仲間は、この“もし”を“ほんとう”に変えるため、この日本で、ピンクリボン運動を始めました。私たちは“微力”ですが、頑張ります。みなさまのご理解とエールをください。きっと“おおきな力”になります。この“大きな力”が、必ず私たちの次の世代を救うと思っています。For the future generation! よろしくご支援のほど、お願い申し上げます。NPO法人J.POSH(日本乳がんピンクリボン運動) 理事長 乳腺専門医 田中完児
メンタル(メンヘラ)特に双極性障害(躁うつ病/躁鬱病)、うつ病の方のためのトラコミュです。
体験談や苦労話など、骨折にまつわる生の声を、いろいろお聞かせください。