[Ⅺ 347] ヨブ記巡禮 (16) / 神は剛速球の投手
「ヨブ記」〈第9章〉後半では、ヨブは自分(人間)と神との間に立って裁きを行い、神の声を届け人間の声を届けてくれる「仲保者」の出現を強く意識しています。神と自分とは近い、近すぎるのだ、神の剛速球を直接キャッチするのはあまりに衝撃が強い、神の言葉は大きすぎて受け止め方も難しい、自分の言葉もあまりに微細で細すぎて神には伝わらないではないか、だからその衝撃を緩和して神の意思を中継ぎをしてくれる者が居て欲しい‥というヨブの強い願いです。鑑三翁の講演録ではこの部分については次のように記しています。《三十二節以下はヨブ記中において最も注意すべき語の一である。「神は我の如き人にあらざれば、我かれに答うべからず、我ら二個(ふたり)して共に審判(さばき)に臨むべからず」と三十二節に言う。ヨブは神と己との間に充分なる交通の道な...[Ⅺ347]ヨブ記巡禮 (16)/神は剛速球の投手
2025/05/29 22:11